
ライフサウンドとは
最近、ライフサウンドのホームページを訪問してくださる方が増えてまいりました。心より感謝申し上げます。
実は店主の不手際により、ご訪問カウンターがリセットされ、0からの再スタートとなってしまいました。現在は「7,624」という表示になっておりますが、本来であれば「71,624」もの方々にご訪問いただいていた数字でした。
積み重ねてきた数字が変わってしまったのは残念な限りですが、今回はこれを良い機会と捉え、初めてお越しいただいた皆様へ、そしてこれまで支えてくださった皆様へ、改めて「ライフサウンドのこれまでの歩み」をご紹介させていただきたいと思います。
Life Sound
「良い音とは何か?」
その答えを探すことから始まった。
探求の旅は、今も続いています。
音を通して生命を感じる。
振動を通して存在を感じる。
万物との共振共鳴を感じる。
そして、その先にある創造を考える。
ライフサウンド――音と生命、その先にある創造へ。
すべては、一つの問いから始まった
「良い音とは、何なのか?」
私が最初からオーディオを仕事にしようと思っていたわけではありません。
ライフサウンドの始まりは、父の介護でした。
父の介護の関係で自宅で仕事をすることになった私は、介護の疲れを少しでも癒したいと思い、音楽を聴こうと考えました。
そこで、オーディオ機器を探しに秋葉原へ行きました。
しかし、そこで目にした当時のオーディオの現状に、私は強い違和感を覚えました。
「これは、本当に音楽を聴くための環境なのだろうか」
そう思ったのです。
そして、
「自分と同じように、音楽を聴きたいのに、どうしたらいいのか分からず困っている人が、ほかにもいるのではないか」
と考えるようになりました。
それが、私がこの仕事を始めるきっかけになりました。
その背中を押してくれたのが、あるピアニストの女性でした。
私の考えを聞いた彼女は、
「貴方なら出来るのでは」
と言ってくれました。
私は、その言葉に素直に従いました。
それが始まりでした。
音楽は、幼い頃から私の中にあった
私自身、幼い頃から父たちが聴いていた音楽の中で育ちました。
利益や理屈ではなく、純粋に音と触れ合う原点がそこにありました。
中学生になると、クラシックギターを弾き始めました。
合奏もしましたし、ソロでも演奏しました。
ホールで演奏する経験もありました。
つまり私は、音楽を聴く側だけではなく、音を生み出す側も経験してきたのです。
楽器を選ぶという経験もしてきました。
楽器は一台一台違います。
音色、響き、反応、弾いたときの感触。
実際に触れ、弾き、聴いて、自分に合うものを選ぶ。
そういう経験をしてきた私から見ると、当時のオーディオ選びは、あまりにも乱暴に感じられました。
音楽を演奏するための楽器を選ぶときには、これほど音そのものを大切にする。
それなのに、音楽を再生する機器を選ぶときには、なぜそうならないのだろう。
その疑問が、私の中に残りました。
そして、私はずっと考えるようになりました。
「良い音とは、いったい何なのか?」
「良い音」を考え続ける
仕事を始めてからも、私の中にあった問いは変わりませんでした。
どんな機器が良いのか。
どんなスピーカーが良いのか。
どうすれば音楽を自然に聴くことができるのか。
しかし、考え続けていくと、これは単なる機器の問題ではないことに気づいていきます。
そもそも、音とは何なのか。
演奏者が生み出した音とは何なのか。
再生装置は、その音をどう伝えるべきなのか。
私は、演奏者が表現として意図して生み出した歪みまで否定するつもりはありません。
ギターでも、声でも、様々な楽器でも、演奏者が意図して生み出した歪みや倍音は、その人の表現そのものです。
それを否定するのではありません。
私が避けたいのは、演奏者が意図していないものを、再生装置が勝手に加えてしまうことです。
演奏者が生み出したものを尊重し、その表現をできる限りそのまま伝える。
それが、私にとっての「良い音」への基本的な姿勢になりました。
音楽再生は、機器だけの問題なのか
そして、さらに考えるようになりました。
音楽を再生するということは、単純にオーディオ機器だけを考えればよいのだろうか。
気温はどうなのか。
気圧はどうなのか。
湿度はどうなのか。
さらには緯度や経度、置かれている場所(断層・水脈・電磁波)そのものまで、音楽再生に何らかの影響を与えているのではないか。
店を始めた頃から、私はそんなことまで考えていました。
特に東京という地域で音楽を聴くことを考えたとき、私が気になったのが湿度でした。
空気そのものが違えば、音の伝わり方も違う。
では、空気とは何なのか。
その中に存在するものは何なのか。
そんなことを考えていくうちに、私は「マイナスイオン」と空気の関係に興味を持つようになりました。
そして、マイナスイオンについて学ぶため、イオン協会にも入会しました。
マイナスイオン研究へ
2002年頃から2006年頃まで、私はマイナスイオンの研究にも関わっていました。
当時のマイナスイオン協会では、理事の一人として活動していました。
現在の特定非営利活動法人 日本機能性イオン協会につながる活動です。
その活動の中では、協会を特定非営利活動法人として認定してもらうため、会長であった東京理科大学の故・中江先生とともに、経済産業省の担当者と面談するために伺ったこともありました。
私にとってマイナスイオン研究は、オーディオとは別の世界へ進んだということではありません。
むしろ逆でした。
音楽再生に影響を与えるものは、オーディオ機器だけではないのではないか。
その疑問を追いかけていった結果として、空気や環境について学ぶことになったのです。
そして、その研究の過程で、一つのシンボルの原点も生まれることになります。現在は販売していませんが「マイナスイオンディスク」がそれです。
3次元を超える再生――Lsチューニングの誕生
ライフサウンドの独自技術である「ライフサウンドチューニング(Lsチューニング)」は、単に音の解像度を上げたり、3次元的な音場感を再現したりするだけの技術ではありません。
それは、3次元的な音楽再生の次元を超えることを目的に生まれました。
私がその領域を目指すようになったのは、ある強烈な「体験」があったからです。
当時の私は、
「歪みのない音を出すこと」
が良い音の絶対条件だと考えて探求を重ねていました。
しかし、再生装置から徹底的に歪みを排除していくと、そこには音だけでなく、演奏者の心理状態や肉体の変化、その時の心境までもが、そのまま音に含まれて現れてくるという現実に直面したのです。
そのことを痛感させられたのが、美空ひばりさんの「川の流れのように」をじっくりと聴き続けた時でした。
彼女の歌声の凄さは、誰もが知るところです。
かつて世界的なヒット歌手であるハリー・ベラフォンテ氏が美空ひばりさんと対面した際、
「僕は君のように歌えない」
と語ったという逸話があるほど、その歌唱は唯一無二のものでした。
最初に聴いた時、私はその素晴らしい歌声と圧倒的な演奏に深く感動し、何度も何度も繰り返し聴いていました。
しかし、歪みのない純粋な再生音を繰り返し聴き込んでいくうち、ある時からふと胸の中に違和感が生まれました。
「……あれ? 何か苦しそうではないか? どこか厳しそうではないか?」
歌声の美しさの奥から、どこか切実で、身体の奥底から絞り出すような苦しみが伝わってきたのです。
後に知ったことですが、「川の流れのように」をレコーディングした当時、ひばりさんの身体はすでに深刻な病に侵されており、慢性肝炎や肝硬変、そして肺の疾患という過酷な体調不良と闘いながらの収録だったのです。
再生装置の歪みを削ぎ落とした結果、完璧な美しさとして作られた音の表面を通り抜け、彼女が命を削って歌に込めた肉体の痛みや葛藤が、そのまま届いてしまった。
私は、そう感じました。
「音」の恐ろしさと、「救い」への探求
それ以来、私は「川の流れのように」を聴くことができなくなってしまいました。
もちろん、その時期よりはまだ体調の良かった頃のひばりさんの歌声であれば聴くことはできます。
しかし、あのレコーディングの瞬間の響きだけは、あまりにも生々しく苦しみが迫ってきたのです。
そして、この恐ろしいほどの体験は、ひばりさんだけに留まりませんでした。
藤圭子さん、尾崎豊さん、あるいは命を落としていった海外の演奏家たち。
彼らが心や命を削り、追い詰められた境地で遺した音を歪みなく再現したとき、そこには彼らの苦悩や叫び、心の乱れまでもが、そのまま空間に立ち現れてしまう。
「音とは、なんと恐ろしいものなのだろうか」
人の生き様や命の影までもが誤魔化されずに露わになってしまう「音」の生々しさに直面した私は、一時期、
「これ以上、音の追究をするのはやめよう」
とさえ思い詰めることになりました。
しかし、そこで立ち止まり、問い続けました。
「ただ恐ろしいだけで終わっていいはずがない。音によって人が苦しむのではなく、音によって救われる道、癒やされる方法はないのだろうか?」
絶望や恐ろしさの先にある「救い」を求めて、私は考え続けました。
音は振動であり、波動です。
歪みを排した音の中に演奏者の心の影が現れるのならば、同時にそこには、彼らが命をかけて届けようとした純粋な愛や魂の光、そして聴く人の心や身体を癒やす豊かなエネルギーも宿るはずである――。
音の恐ろしさを知ったからこそ、私は、
「どうすればその音が人を包み込み、生命を再生させる優しい響きとなり得るか」
という探求へと向かいました。
暗闇の先に「救い」をもたらす響き。
時空や命の境目を超えて、演奏者と聴く人の心が優しく共振共鳴し、互いの魂が救われていくような調和の空間を生み出すこと。
この葛藤と気づきを経て生まれたものこそが、3次元を超える音楽再生――ライフサウンドチューニング(Lsチューニング)なのです。
音楽から「創造」を考えるようになった
ここからが、私にとって非常に大切な部分です。
私は最初から「ある言葉」による考え方を持っていたわけではありません。
むしろ、「創造」というものについて考えるようになったきっかけの一つは、過去の偉大な作曲家たちが、音楽をどのように生み出していたのかということでした。
音楽史を振り返ってみると、非常に興味深いことがあります。
偉大な作曲家たちは、単純に「自分が音楽を作った」と考えていたわけではないのです。
もちろん、高度な技術と膨大な知識を持っていました。
しかし、その先で、自分の意思を超えた何かから音楽を受け取ったような体験を語る作曲家がいます。
それは私にとって、とても興味深いことでした。
ヘンデル――「天が開かれた」ような体験
ヘンデルについては、オラトリオ《メサイア》を作曲した際の有名な逸話があります。
猛烈な勢いで作曲を続け、周囲の人間が驚くほどの集中状態に入り、完成したときには、まるで天上の世界を見たかのような状態だったと伝えられています。
ヘンデル自身が、
「私は天国を見た。そして偉大なる神ご自身を見た」
という趣旨の言葉を残したとされる逸話です。
また、そこにはイエス・キリストの姿まで見たという伝承もあります。
ここで私が興味を持ったのは、宗教そのものではありません。
一人の作曲家が、巨大な音楽を生み出した瞬間を、自分自身の創作能力だけでは説明していなかった。
そのことでした。
バッハ――「神の栄光のために」
バッハの音楽にも、明確な思想があります。
彼は自らの音楽を、神に捧げるものとして考えていました。
楽譜に記された、
Soli Deo Gloria
――「ただ神にのみ栄光あれ」
これはバッハの作品を考える上で、とても象徴的な言葉です。
バッハは、音楽を単なる自己表現としてではなく、より大きな存在へ捧げるものとして扱っていた。
私はそこに、音楽における「創造」の一つの姿を感じました。
ベートーヴェン――シラーと「創造主」
そして、ベートーヴェンです。
第九交響曲の終楽章で歌われる《歓喜に寄せて》。
その詩を書いたのは、フリードリヒ・フォン・シラーです。
シラーの詩は単なる人間同士の喜びだけを歌っているのではありません。
そこには、人間を越えた大きな存在への視線があります。
ベートーヴェンは、第九の中で人間の歓喜を越え、星空の彼方へと視線を向けています。
そして、その中には**「創造主」への呼びかけ**が置かれています。
つまり第九は、単に「人類はみんな仲良くしましょう」という音楽ではありません。
人間の歓喜から始まり、やがて宇宙的な広がりへと視線が上がっていく。
私は、この音楽の構造そのものに強く惹かれました。
人間が音楽を通して、自分自身を越えた存在へ向かっていく。
これは、「創造」というものを考える上で、とても重要なことではないか。
そう思ったのです。
マーラー――「創造の霊」に突き動かされる
そして、私にとって特に強く印象に残ったのがマーラーでした。
マーラーの交響曲第8番《千人の交響曲》。
第1部の冒頭で歌われるのが、
Veni, creator spiritus
――「来たり給え、創造の霊よ」
創造の霊を呼び求める言葉です。
マーラーは作曲の瞬間について、自分の意思だけで音楽を作り出しているのではないような、強烈な体験を語っています。
まるで外から巨大な力に突き動かされるように、作曲へ向かわされた。
いわば、
「お尻を蹴飛ばされるようにして、机に向かわされた」
ような感覚です。
これは、とても面白い。
作曲家は、自分が創造主になったというより、
「自分を超えた何かによって、音楽を受け取った」
と感じている。
私はこの話に強く惹かれました。
モーツァルト、ブラームス、シューマン、ストラヴィンスキー
さらに音楽史を辿っていくと、似たような感覚を語る作曲家がいます。
モーツァルトには、音楽が頭の中にほとんど完成した状態で現れ、それを書き留めていくという創作についての逸話があります。
ブラームスにも、創作の瞬間に自分を越えた大きなものとつながっているような感覚を語ったとされる話があります。
シューマンもまた、晩年には天使が美しいテーマを聴かせてくれ、それを書き留めたという体験を語っています。
そして、20世紀のストラヴィンスキー。
《春の祭典》のような、それまでの音楽の常識を大きく変えてしまう作品を生み出した彼についても、自分がすべてを意識的に作り出したというより、音楽が自分を通過していったような感覚を語った逸話があります。
もちろん、これらの作曲家たちは、決して何も知らない人間ではありません。
むしろ反対です。
極めて高度な知識と技術を持っていました。
それでも、その技術の先で、
「自分が作った」という感覚を越えた何かを感じている。
ここが、私には非常に興味深かったのです。
「創造」とは、一体何なのか
こうした作曲家たちの話を知るうちに、私は少しずつ考えるようになりました。
音楽とは、いったいどこから生まれてくるのだろう。
作曲家が頭の中で考えているものなのか。
それとも、人間は何かを受け取り、それを音としてこの世界に現しているだけなのだろうか。
音楽は、最初は「無」にあります。
作曲家の心の中にあったとしても、他の人には聴こえません。
それが演奏されることで、「有」になります。
そして演奏が終われば、再び「無」に戻ります。
しかし、楽譜には残る。
つまり、そこには「無」でありながら「有」であるという、矛盾しているような状態があります。
作曲という行為も、演奏という行為も、考えてみれば不思議です。
何もないところから何かが生まれ、存在し、そして再び消えていく。
これは、単なる音楽現象ではなく、
「創造」そのものの姿なのではないか。
私は、そう考えるようになりました。
そして、この考えをさらに突き詰めていった先に、前述した「ある言葉」による考え方が現れました。
それは「大宇宙創造主根本神」という考え方が生まれてきたのです。
大宇宙創造主根本神――創造そのものを考える
私が「神」という言葉を使うとき、それは人間の姿をした人格神を意味しているわけではありません。
私が考えている「大宇宙創造主根本神」とは、
思考するエネルギー。
創造するエネルギー。
様々なものを生み出していく根源的なエネルギー。
そのようなものです。
極小から始まり、無限に広がっていく。
その創造のエネルギーによって、恒星が生まれ、惑星が生まれ、銀河が構成され、生命が生まれていく。
私は、そんな創造そのものを、一つの形として表現できないかと考えるようになりました。
これは、宗教的な話をしたいということではありません。
私自身が音楽を追究し、作曲家たちが「創造」をどのように捉えていたのかを知り、そこからさらに、
「そもそも創造とは何なのか?」
と考えるようになった。
その思索の先に生まれた私自身の考えです。
シンボルの原点――「⊙」
現在のライフサウンドのシンボルには、長い前史があります。
マイナスイオンの研究に関わっていた時期、「マイナスイオンディスク」という製品を作ることになりました。
その製品開発の過程で、以前からオーディオ用に作っていたパワーアップシールのデザインから、一つの形が生まれました。
⊙
円の中心に一点がある。
極めてシンプルな形です。
当時は、この小さなデザインが、後にライフサウンドのシンボルへと発展していくとは考えていませんでした。
しかし、この「中心に一点があり、それを円が包む」という形が、後になって私の中で、極小から無限へ広がっていく創造のエネルギーというイメージと結びついていきました。
小さな一点。
そこから広がる円。
そして、その先にある無限。
振り返ってみると、この小さな「⊙」が、現在のシンボルへ至る最初の一歩だったのです。
創造を、形にする
そのイメージを実際の造形として表現するため、偶然の出会いでお知り合いになった、京都で密教宝具を制作されている職人さんに相談をし快諾していただきました。
極小から始まり、無限へ広がっていく創造のエネルギー。
その中から様々な存在が生まれていく。
その考えを、どのような形にできるのか。
一つ一つ考えながら製作していきました。
そして、表面にはタガネによる細かな彫刻を施しました。
そこに表現されているのは、私が創造した存在を形にしたものです。
恒星。
惑星。
そして、それらによって構成される銀河。
一つ一つは大宇宙の中では極めて小さな存在です。
しかし、それらが無数に集まり、大宇宙を構成していく。
極小から無限へ。
その考えを、職人の一打一打によって金属に刻み込みました。
金箔に込めたもの
完成したシンボルの表面は、金箔で仕上げています。
以前は金メッキでした。
しかし、私は金メッキでは波動が落ちると考え、金メッキをやめ、金箔による仕上げへと変えました。
これは単なる装飾の変更ではありません。
このシンボルは、形だけではなく、素材も含めて一つのものとして考えています。
金箔を施した表面に光が当たると、タガネによって刻まれた無数の星々が浮かび上がります。
まるで、無数の恒星や惑星が、一つの宇宙の中に存在しているようにも見えます。
完成した姿を見て気づいたこと
そして、シンボルが完成したとき、私はあることに気づきました。
その姿が、スピーカーユニットの姿と重なっていたのです。
ここは、私にとって非常に驚きでした。
私は、最初からスピーカーユニットを意識してこの形を作ったわけではありません。
私が形にしようとしていたのは、あくまでも、
大宇宙創造主根本神による創造=音そのものでした。
それを実際に製作し、完成した姿を見たとき、そこにスピーカーユニットの姿が重なっていることに気づいたのです。
スピーカーは、信号を振動に変え、その振動を空間へ放射します。
一方、このシンボルが表しているのは、極小から始まった創造のエネルギーが広がり、様々な存在を生み出していく姿です。
創造。
振動。
音。
放射。
別々に考えていたものが、一つの形の中で重なった。
私は、そこに大きな意味を感じています。
つまり、
スピーカーとは「御神体」そのものと等しい存在なのではないか。
そう考えるようになったのです。
だからこそ、製作においてどうしても妥協できないところがあります。
内部配線材の種類によって生み出される歪み。
ネットワークという存在から発生する抵抗による音の濁り。
そしてスピーカーキャビネットを構成する素材から生み出される不自然な響き。
これらを徹底的に削ぎ落とし、純粋な響きを追求しなければならない。
その理由が、ここにあるのです。
すべてのものは共振共鳴する
そして、ライフサウンドの根本には、
「すべてのものは共振共鳴する」
という考え方があります。
この世界に存在するあらゆるものは固有の振動を持っており、互いに影響を与え合い、響き合っています。
空間。
素材。
機器。
そして聴く人の心まで――。
すべてが共振し、共鳴し合って、一つの「音楽の場」が立ち上がります。
オーディオとは、単に音を出す機械ではない。
万物が共振共鳴する豊かな調和空間を生み出すためのツールなのです。
「サウンドマリン」から「ライフサウンド」へ
最初、私は店の名前を**「サウンドマリン」**としていました。
当時は深く考えたわけではありません。
初めて生まれた娘に「マリン」と名付けたことから、安易にそこから名前を取って「サウンドマリン」としたものでした。
その後、姓名判断をしていただいた高名な先生から、
「ライフサウンド」
という名前を勧めていただきました。
その先生は、ライフセイバーをイメージして付けた名前だと話してくださいました。
当時は、その名前が後に自分の考えていることと、これほど深く結びついていくとは思っていませんでした。
しかし今振り返ると、不思議なものです。
父の介護をきっかけに音楽を求めたこと。
そこからオーディオの仕事を始めたこと。
「良い音とは何か」を考え続けたこと。
音から振動へ。
振動から生命へ。
生命から創造へ。
そして、その先にある大宇宙へ。
Life Sound――生命と音。
まるで、後から意味が与えられていったかのようにも感じます。
最初からすべてを計画していたわけではありません。
一つ一つの出来事が起こり、そのたびに考え、進んできた。
振り返ると、それらが一つの線につながっているのです。
小さな始まりから、無限へ
こうして振り返ると、ライフサウンドの歩みそのものが、このシンボルの姿と重なっているように思えます。
始まりは、とても小さなものでした。
父の介護をしながら、
「音楽を聴いて、少しでも自分を癒したい」
と思ったこと。
そこから秋葉原へ行き、オーディオの現状に疑問を持った。
「同じように困っている人がいるのではないか」と考えた。
そして、ピアニストの女性から、
「貴方なら出来るのでは」
と言われた。
私は、その言葉に素直に従った。
それが始まりでした。
そこから、
サウンドマリンからライフサウンドへ。
音楽から音へ。
音から振動へ。
振動から生命へ。
生命から創造へ。
そして、大宇宙へ。
最初は、一人の人間の小さな願いでした。
しかし、
「良い音とは何か?」
を考え続けたことで、その問いは少しずつ大きくなっていきました。
「良い音とは何か」
私にとって、良い音とは単に測定値が優れている音でも、迫力のある音でもありません。
演奏者が意図して生み出した表現を尊重する。
その音を、再生装置の都合で勝手に変えない。
音楽を音楽として伝える。
そこから始まった問いでした。
しかし、その問いを追い続けていくと、
音とは何か。
振動とは何か。
生命とは何か。
創造とは何か。
という問いへと広がっていきました。
そして、その過程で私は、バッハやヘンデル、ベートーヴェン、マーラーをはじめとする偉大な作曲家たちが、「自分を超えたもの」と音楽との関係をどのように捉えていたのかを知りました。
それは私にとって、単なる音楽史の知識ではありませんでした。
彼らが残した言葉や音楽を通して、
「人間は創造しているのか。それとも、創造されたものを受け取っているのか」
という問いを考えるきっかけになったのです。
その先に私が感じるようになったのが、
大宇宙創造主根本神による創造
という考えでした。
音楽演奏は、最初は「無」から始まります。
音が出ることで「有」になり、そして演奏が終わることで再び「無」へと戻っていきます。
しかし、その音楽は聴いた人の心の中に残る。
楽譜にも残る。
記憶にも残る。
つまり、完全な「無」には戻っていない。
この一連の流れの中に、私は「創造」そのものの姿を見ています。
だから、このシンボルは「神の姿」を描いたものではありません。
大宇宙創造主根本神(思考するエネルギーであり創造するエネルギーであり様々なものを生み出していく根源的なエネルギー。)
による創造、すなわち「音そのもの」を象徴化したものです。
極小から無限へ。
一つの存在から無数の存在へ。
一つの振動から、大宇宙へ。
そして、その創造を表現しようとして生まれた形が、完成したとき、音を放射するスピーカーユニットの姿と重なっていた。
それが、私にとってのライフサウンドです。
Life Sound
「良い音とは何か?」
その答えを探すことから始まった。
探求の旅は、今も続いています。
音を通して生命を感じる。
振動を通して存在を感じる。
万物との共振共鳴を感じる。
そして、その先にある創造を考える。
そこからオリジナルケーブルやオリジナルアクセサリーやチューニングが生まれてくるのです。
ライフサウンド――音と生命、その先にある創造へ。

