top of page

José José ― 心に響くのは、音ではなく、生命の鼓動

lifesound
7月20日
読了時間: 5分

第一部 22歳のJosé Joséは、なぜ世界を震わせたのか

― 才能、教育への飢え、そして『El Triste』の奇跡 ―


私はオーディオという仕事柄、これまでクラシック、ジャズ、ポップスを問わず、本当に数え切れないほど多くの歌手の歌声を聴いてきました。

歌声の質感。

息づかい。

ホールへ広がる響き。

言葉には表せない「空気の震え」。

そうしたものに耳を澄ませることが、いつしか私の日常になっていました。


そんな私が、ある日、一人の歌手に出会います。

メキシコが誇る伝説の歌手、José José。

そして、1970年、第2回世界ラテン歌謡フェスティバルで22歳の青年が歌い上げた『El Triste』でした。


私はスペイン語が分かりません。

歌詞の意味も理解できません。

それなのに、聴き初めてから直ぐに、涙が止まりませんでした。

なぜなのだろう。


歌詞が分からないのに、どうしてここまで心を揺さぶられるのだろう。

その答えを知りたくて、私は彼の人生を調べ始めました。

すると見えてきたのは、一人の天才の物語ではありませんでした。

そこには、才能、一流の教育への飢え、そして苦難の中でも歌を諦めなかった、一人の青年の姿がありました。


オペラ歌手の父から受け継いだもの


José Joséの歌声の土台を形作った第一の柱は、父から受け継いだ才能だったのでしょう。

父、ホセ・ソサ・エスキベルはプロのオペラ歌手(テノール)でした。

幼い頃から、本物のオペラ歌手が放つ豊かな響きに囲まれて育った環境は、彼の耳と感性を自然に育てていったに違いありません。



さらに、自伝『Ésta es mi vida』には、イタリア出身の声楽家・指揮者グイド・ピッコとの出会いが記されています。

ピッコは、José Joséの父について、20世紀を代表する名テノール、ジュゼッペ・ディ・ステファノ級の歌手であると高く評価していました。

つまりJosé Joséは、世界水準の歌声を持つ父の背中を見ながら育ったことになります。

歌の才能とは、単なる遺伝だけでは語れません。

幼い頃から本物の芸術に触れ続けた環境もまた、大きな財産だったのでしょう。


「君も父親と同じテノールだ」


若き日のJosé Joséは、ある日、グイド・ピッコの前で話をする機会を得ます。

するとピッコは、その「話し声」を聴いただけで驚きます。

「君も父親と同じテノールだ。今はリリック・ライト・テノールだが、勉強すればさらに大きく成長できる。」

リリック・ライト・テノール。

クラシック声楽において、明るく伸びやかな響きと、美しい叙情性を兼ね備えた声質です。

私はこの一文を読んだ瞬間、『El Triste』で聴いた22歳の歌声が頭の中で一本につながりました。

あの高音。

あの透明感。

あの圧倒的なロングトーン。


私はこれまで多くの歌手を聴いてきましたが、22歳のJosé Joséほど自然に、しかも力みなく高音を響かせる歌手には、なかなか出会えません。

もちろん、これは私自身がオーディオを通して数多くの歌声を聴いてきた一人の聴き手としての実感です。


しかし、あの歌声を聴けば、グイド・ピッコが「リリック・ライト・テノール」と見抜いた理由が、少し分かるような気がするのです。


開かれた門、そして閉ざされた門


ピッコは続けて言いました。

「私のところへ勉強に来なさい。」

世界的な声楽家から直接学べる機会。

これ以上ない幸運でした。

しかし、自伝には、その直後、たった一行だけが静かに綴られています。

「お金がなくて二度と会いに行けなかった。」

私は、この一文を読んだとき、胸が締め付けられました。

才能はあった。

学ぶ機会も与えられた。

しかし、貧しさがその道を閉ざしてしまったのです。

人生とは、時に残酷です。

もし、このとき十分なお金があり、正統なクラシック教育を受け続けていたなら、José Joséは別の歌手になっていたかもしれません。

しかし、人生は別の道を選びました。


教育への飢えが育てた歌


一流の教育を受けられなかったJosé Joséは、ストリートや夜の街で歌い続けることになります。

セレナータ。

トリオ。

容赦ない実戦。

そこには先生はいません。

拍手もあれば、冷たい視線もあります。

その現場で、彼は歌を磨いていきました。


私は思うのです。

一流の教育を受けられなかったという「飢え」こそが、José Joséの歌を育てたのではないか、と。


父の歌声を思い出しながら、自分の身体を楽器として鳴らす方法を必死に探し続けた日々。

あの圧倒的なロングトーンは、教科書だけでは決して身につかなかったのでしょう。

現場で積み重ねた経験と執念が、彼だけの歌声をつくり上げたのだと思えてなりません。


『El Triste』という奇跡


そして1970年。

22歳のJosé Joséは、第2回世界ラテン歌謡フェスティバルで『El Triste』を歌います。

このときの歌声は、まさにグイド・ピッコが見抜いた「リリック・ライト・テノール」の輝きを、そのまま世界へ放った瞬間だったのでしょう。


私はオーディオという仕事柄、本当に多くの歌手の声を聴いてきました。

もちろん、『El Triste』も世界中の歌手たちが歌っています。


しかし、22歳のJosé Joséが歌った、あの『El Triste』だけは、どうしても別格なのです。


それは単なる技術ではありません。

父から受け継いだ才能。

学びたくても学べなかった悔しさ。

教育への飢え。

独学で積み重ねた努力。

そのすべてが、一曲の中で爆発しているように私には感じられます。


私はスペイン語が分かりません。

それでも涙が溢れました。

私の心を震わせたのは歌詞ではありません。

一音一音に宿る、人として生きた証でした。

日本には「言霊」という美しい言葉があります。

私には、José Joséの歌には、その言霊が宿っているように感じます。

だから国境を越え、言葉を越えて、人の魂に届くのでしょう。

だから半世紀を超えた今も、『El Triste』は世界中で歌い継がれているのでしょう。


しかし、22歳で世界を魅了したJosé Joséの人生は、ここからさらに過酷な試練を迎えます。

歌手にとって最も恐ろしい病。

肺の病でした。

その絶望を乗り越え、それでも歌い続けた男の物語は、第二部でお話ししたいと思います。

 
 
 

最新記事

すべて表示
お客様のご感想

ライフサウンドの新しい試み、音源の個性が真実なのか?ということから始まった研究の成果をユーザーの皆様に体験していただいていますが、名古屋のHさんから早速ご感想を頂きました。 ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ 今回、色々な音源送っていただきありがとうございました。最初は少し苦労しましたが、何とか聞けました。音源の意味が最初は分かりませんでしたが、コンサート空間の再現でしたね

 
 
 
ライフサウンドのユーザー様へ

日頃お世話になっているライフサウンドのユーザーの皆様へ、これまでの感謝と21世紀のオーディオ再生のために「笑ってしまうしかない」音源をプレセントしています。 コンピューターでこちらから送るデータをパソコンに送りますので、それを解凍してHAPやパソコンで再生して頂ける方にプレゼントさせていただきます。これはあくまでも個人的にご使用ください。 こ希望される方はメールでご連絡を頂ければと思います。またご

 
 
 

コメント


  • facebook
  • Twitter Round
  • googleplus
  • flickr
今すぐ寄付する
みなさんの力で変化を起こしましょう

ご協力ありがとうございました。

bottom of page