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ROTEL&SUPERNATURAL 「極」の効果sono2

今から157年前に生まれたトスカニーニ。江戸末期、明治初めに産声を上げた人の演奏が聴ける事自体が凄いことであると思います。このアルバムは1954年の演奏です。

70年前の演奏です。

江戸末期明治初期に生まれ、明治、大正、昭和に活躍した人の演奏というものは、それは、彼が生きた時代のエネルギーを持っていると感じられます。



それもROTEL&SUPERNATURAL 「極」の効果の一つです。そして、そのエネルギーから生み出される演奏は、なんとも繊細で神経が通った音楽を聴かせてくれます。

確かに録音時に人としての命を持って生きていたマエストロの人生の凝縮が、そこに存在しているのです。

それを味わうことが出来ることは、まさに奇跡としか言えないと思います。

そのように感じさせられことがROTEL&SUPERNATURAL 「極」の効果です。

時代を超えて、味わえる音楽の素晴らしさを何と表現したら良いのでしょうか?

オーディオ再生はマイナスから始まると考えています。それをゼロにしてプラスにしていくか。それを乗り越えないと真の音楽再生とは言えないのではと考えています。


店主は音楽評論家ではありません。高名な評論家の皆さんがされる評価とはまるで違うと思います。

それはそうです。「より線」を使ったシステムでの評価では、本当の価値を感じるには、少し遠い再生になりますから。ヘッドフォンで聴かれている方も多いかもしれませんが、そこには正しくステージが生まれてくることにはなりません。


店主も数少ない体験として巨匠と呼ばれる方の演奏を聴いた体験があります。

その味を知っていると、一般的な音楽再生では、どうにも納得が出来ないでいました。

ギターの神様と言われたアンドレス・セゴビアの演奏には、本当に驚かされました。

これは何度も呟いて来ましたが、音量は仕方ないですが、ブーンと唸る遠達性のあるギターの音の凄さ、そこから生まれる音楽の素晴らしさ。メロディが途切れることなく響き続ける演奏。和音の音が全てきっちり揃っている凄さ!!


その弟子たちの演奏も聴きました。高弟であるアリリオ・ディアスの演奏会も聴きました。

残念ながら、その演奏会では大きな感動は得られませんでした。音が細いという印象しか残っていません。ジュリアン・ブリームのステージも聴きました。音楽性豊かであったことは間違いないです。しかし、セゴビアの発する音には遠いものでした。

ジョン・ウィリアムスも聴きましたが、スピーカーを使っていたのが残念でした。

禁じられた遊びで有名なイエペス先生のリサイタルも何度か行きましが、セゴビアのような感動は無く、印象のあるのは、よくコントロールされた指使いということです。

ロメロファミリーの演奏は確か五反田のユーポートのホールだったと思います。

親子での演奏は楽しく、素敵な存在でしたが、セゴビアのようなトーンが聴くことは出来ませんでした。明るく楽しい演奏会であった記憶はあります。ピアノでは、ホルショフスキーさんですね。ご高齢にも関わらず艷やかな響き、作曲者の個性にあった音色、そして歌がありました。

それぞれに感動はあったと思いますが、今回のトスカニーニの演奏はドイツ人指揮者とは違う面が聴けました。ワーグナーが喜ぶのかは判りませんが、このように美しい響きが聴ける事自体が感動でした。

最晩年の演奏とは思えない演奏に心が震えました。

それだけではなく、マエストロの命を込めたエネルギーを感じることで、その存在との距離がかなり近くなったように感じられることになりました。

これまでの30年に及ぶこの仕事において、このような体験をさせられることはありませんでした。耳による感動はありました。それは、それで素晴らしい体験でした。

ですから、さらに感動を深めるためには何をすべきかを考え続けて来たのです。


その回答がROTEL&SUPERNATURAL 「極」の効果だったのです。

一人でも多くの方に体験して頂きたいものです。







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