「空間・スピーカー・そして共に生きる人々」
- lifesound
- 5 日前
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更新日:4 日前
――都市型住宅における調和と、歴史的物理の陥穽(かんせい)――
■ 趣味という聖域への敬意と、もう一つの現実
オーディオ再生は、個人の魂を解き放つための聖域であり、他人が軽々に口を挟むべき領域ではありません。しかし、巨額を投じながら理想の音に辿り着けず、出口のない迷路で独り悩んでいる方が多いのも、また抗いようのない事実です。
ライフサウンドが提唱する音楽再生の原点は、日本の「都市型住宅」にあります。壁一枚隔てた先に家族や隣人が暮らす環境で、いかに音楽の生命を宿すか。郊外の広大な部屋で、何をしても誰からもクレームが出ないような「例外的な環境」ではなく、限られた空間での「真の調和」こそが、ライフサウンドの探求の柱です。
米の現場で見た「物理の悲劇」
私はこれまで、日本、そしてアメリカの数多くのお宅を訪問し、器(空間)を無視した再生が生む残酷な現場を目にしてきました。
アメリカ 15畳の洋室に置かれた『X-1 Grand SLAMM』メーカーが持ち込んだ 測定マイクが「OK」を出したという推奨位置で聴かされたのは、躍動感のない人工的なサウンドの死骸でした。あまりの気持ち悪さに、私は7メートル後方のキッチンの冷蔵庫の前まで退避しました。壁を隔て、距離を置くことでようやくエネルギーが整い、音楽が呼吸を始めたのです。 再生と同時に奥様がさっさと家を出て行く姿を見て、ご主人が「彼女はいつもこうなんだ」と寂しそうに笑っていたあの瞬間、オーディオはもはや家族の絆を断つ刃となっていました。
8畳の『ボイス・オブ・ザ・シアター(VOTT)』の戦慄 本来、映画館のスクリーンの裏側で咆哮すべき怪物を、至近距離で鳴らせば、シンバルの輝きは「スチール板を叩く打撃音」となって襲いかかります。私は床に低く座り込み、その直撃を避けるしかありませんでした。それは鑑賞ではなく、音の暴力からの避難だったのです。
8畳の『JBL』が陥る窒息の泥沼 憧れの38センチウーハーを冠したJBL。その姿は威風堂々としたものでした。しかし、日本の標準的な「柔らかい床」にその巨躯を置いた途端、物理の壁が冷酷に立ちはだかります。強大なエネルギーを床が受け止めきれず、低域は解像度を失って泥沼のように濁り、本来の躍動感は完全に窒息していました。そこでは、38センチという圧倒的な存在そのものが、部屋を揺らすだけの無意味な重りへと成り下がっていたのです。
■ 技術者の矜持:自らの設計を活かせぬ悲鳴
私は、これらの名機たちに対して畏怖の念を抱くと同時に、どこか「気の毒だ」という思いを禁じ得ません。もし、正しいプライドを持つ設計者たちが、この現状を本音で語るなら、決して沈黙はしないはずです。
アルテックのエンジニアであれば 「我々が巨大なホーンを設計したのは、無数の穴が開いた厚いスクリーンという『物理の壁』を突破するためだ。最後列の客席にまでセリフを届ける過剰なエネルギーを、遮蔽物のない家庭の至近距離で浴びるなど、設計思想への冒涜だよ。」
ウィルソン・オーディオのエンジニアであれば 「X-1が描く完璧な位相(タイム・アライメント)は、5メートル以上の距離があって初めて結実する。15畳という狭い檻に閉じ込めればエネルギーは飽和し、マイクが『OK』と叫んでも、音楽の躍動感は死に絶えてしまう。」
JBLのエンジニアであれば 「38センチの真価は、強固な支点があってこそ発揮される。日本の柔らかい床の上で、スピーカーを揺らしながら鳴らすのはもはや物理的な敗北だ。」
自らの設計が活かされない状態を、彼らが認めるわけがありません。名機は、本分を尽くせる場所で鳴ってこそ、初めて輝く誇り高き存在なのです。
彼らの設計思想ではありえない使用方法に驚愕するばかりでしょう。
■ 内部に潜む「情報の迷路」と「撚り線の濁り」
巨大なマルチウェイスピーカーには、信号を強引に分割する「ネットワーク」という電子的な迷路が存在します。さらに追い打ちをかけるのが、内部に使用される「撚り線(よりせん)」の配線材です。 細い線を束ねたその構造は、信号の迷走や時間軸の乱れを引き起こし、音の輪郭を滲ませます。どれほど高価なユニットを使おうとも、この「内部の渋滞と濁り」を抱えている限り、演奏者が込めた魂の震えという微細な情報がリスナーに届くことはありません。
■ 物理の調和が生む奇跡:Great 16 KING

対照的に、Great 16 KINGは、16センチという適正なユニットサイズで、物理の調和を体現します。 16センチ・フルレンジには、情報を劣化させる迷路が存在しません。アンプから送られた純粋な信号は、ダイレクトに振動板を動かし、音として放たれます。 「メカニカルアース」により、床さえも味方につけて不要な振動を大地へと逃がす。物理の理に叶ったとき、そこには数値では測れない「生命の躍動」が宿るのです。
■ 最後に
アンプを整え、ケーブルを浄化しても、最後に空間という「器」とスピーカーの「肺活量」、そして「情報の純度」が合っていなければ、音楽は呼吸を止めます。
そうではなく、 ご家族からも「いい音だね」と自然に言葉が漏れ、共に音楽を慈しむことができる。
そんな「都市型住宅における空間との調和」こそが、本当の意味で音楽を愛する大人のオーディオが辿り着くべき、真の到達点ではないでしょうか。
しかし、最初に呟いた通りでオーディオ再生は、個人の魂を解き放つための聖域であり、他人が軽々に口を挟むべき領域ではありませんが、店主にとっては素晴らしいスピーカーたちが何とも気の毒な使用方法をされていることに涙を禁じえません。
多くの悲劇を見てきたことを呟くことで、栄光の歴史を持っていた彼らへの供養となればと思っています。




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