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21世紀のオーディオ再生——ベルモンドの葬送が教えてくれた「これこそが音楽」

  • lifesound
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

現代のオーディオは、ひとつの巨大な「迷路」に入り込んでいるように見えます。 高価な素材を競い、測定器の数値を極限まで追い求める。 そんな世界になってしまいました。

しかし、スペック上の完璧さを手に入れたはずのその場所で、私たちはふと気づくのです。 「音楽の“心”は、一体どこへ行ってしまったのか?」と。


それは、目的と手段がいつの間にか入れ替わってしまった、20世紀型の唯物的な発想の限界なのかもしれません。 音を単なる物理現象として扱うだけでは、どれほど歪率を下げても、そこに音楽の「魂」が宿るとは限らないのです。

ライフサウンドが提唱する「ライフサウンド・チューニング」は、その迷路の出口を探るための一つの試みです。 私自身、これまで幾度か生死の境をさまよう経験をしました。 その体験の中で、人の意識や情報の秩序が、物質のあり方や世界の感じ方に深く関わっているのではないか——そう感じるようになりました。

ライフサウンドの仕事は、単に機器を改造することではありません。 自分自身の感覚を研ぎ澄まし、音の流れの中に潜む「情報の澱(おり)」のようなものを感じ取り、それを整えることです。 それだけで、冷たい機械だったはずのオーディオ機器が、不思議と「音楽を宿す器」に変わっていきます。

先日、自らチューニングした機器で、ある映像を再生しました。 それは、フランスの映画界を代表する名優 Jean-Paul Belmondo の国民追悼式です。 会場はパリの Les Invalides。


画像出典:Wikimedia Commons (Photo by Mbzt / CC BY-SA 3.0)

その荘厳な式典の中で流れていたのが、Ennio Morricone の名曲「Chi Mai」 でした。

棺が静かに運ばれていく。


会場の人々、そして外のモニターで見守る人々から、自然と万雷の拍手が湧き上がります。 その拍手には、彼の人生に対する深い敬意と感謝が込められていました。


子供の頃に、映画で見ていた俳優というだけなのに、不思議なほど胸に迫るものがあり、気がつくと涙が自然に溢れていました。


それは、ただの音や映像ではなく、そこにいた人々の思いや空気までもが、音楽とともに伝わってきたように感じられたからです。


音楽とは、単なる音の連なりではありません。 人の呼吸や感情、そして人生の記憶と結びついたとき、初めて「意味」を持つものなのだと思います。


ベルモンドの葬送を見ながら、私は改めて感じました。 これこそが音楽なのだ、と。

このような感動を、日々ご自宅で体験していただきたい。 音楽がただの音から「命」へと変わる瞬間を味わっていただきたいと思ております。


画像出典:Wikimedia Commons (Photo by Eric Pouhier / CC BY-SA 3.0)

ただし、ひとつだけ正直にお伝えしなければなりません。 ライフサウンド・チューニングは、機器が本来持つ「素質」を引き出す技法です。 そのため、音楽的な素質が薄い機器では、得られる効果も限られてしまいます。 これは私の仕事において、嘘をつくことのできない厳格な事実でもあります。


音楽の喜びは、数値の先にある「ソウル」にこそ宿る。 私はそう信じています。

そして、ベルモンドの葬送が、改めて教えてくれました。


これこそが音楽なのだ、と。

 
 
 

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