TD712zとGreat16KING――「速い音」と「生きた音」は同じなのか
スピーカーを比較するとき、よく「速い」「遅い」「ライブ感がある」「響きが豊か」といった言葉が使われます。
しかし、言葉だけでは、実際に何が違って聴こえているのか、なかなか見えてきません。
そこで今回は、深くオーディオとお付き合いされているお客様との会話で出てきた話題の中からTD712zとKING(Great16KING)を、
立ち上がり
立ち下がり
倍音
キャビネット
そして「ライブ感」
という5つの視点から、少し掘り下げて考えてみたいと思います。
TD712z――音の「瞬間」を明確にするスピーカー

TD712zは12cmフルレンジ一発のスピーカーです。
ECLIPSEは、このスピーカーをタイムドメイン理論に基づく製品として位置づけています。
タイムドメインとは、簡単に言えば「音が鳴った瞬間」だけではなく、波形が発生してから消えるまでの時間的な変化を正しく再現するという考え方です。
そのためTD712zを聴いたときに強く感じられるのが、「音が発生した、その瞬間の明確さ」です。
ボーカルなら、口から声が出た瞬間。
ギターなら、ピックが弦に触れた瞬間。
ドラムなら、スティックが皮を叩いた瞬間。
その一瞬の輪郭が非常に分かりやすく描写されます。
だからこそ、聴き手は「速い」「キレがある」「音像が明確」「ライブ感がある」という印象を持ちやすいのだと思います。
TD712zは、音楽を楽しみながら、同時に「録音された音の形を観察できるスピーカー」とも言えるでしょう。
KING――「音が出た後」をどう聴かせるか

一方、KINGを考える場合には、ユニットだけで判断することはできません。
KINGに用いられているMAOPのコーンは、一般的な金属コーンとは異なり、素材そのものを化学変換によって結晶性酸化物へ変化させています。
Markaudioによれば、その結晶構造に含まれる微細な空隙と高剛性の組み合わせによって、金属コーンの正確さと紙コーンのような聴きやすさの両立を狙っているとされます。
つまりMAOPの面白さは、単に「金属だから速い」というところではありません。
高い剛性を持たせながら、コーン自身の振動をどのように扱うか。
そこに、この素材の面白さがあります。
そしてKINGにおいて、さらに重要なのが「キャビネット」との関係です。
ユニットが発生させた振動エネルギーは、コーンだけで完結するわけではありません。
バッフルやキャビネットにもエネルギーが伝わります。
だから私は、KINGを聴くときにはユニットだけではなく、
「ユニット+キャビネット」
を一体となったひとつのシステムとして考える必要があると思っています。
場合によっては、それをひとつの「楽器」と捉えてもいいのかもしれません。
立ち上がりだけなら、どちらが速いのか
では、TD712zとKINGでは、どちらが速いのでしょうか。
これは、単純には決められません。
実際の立ち上がりは、振動板の質量、磁気回路、サスペンション、キャビネット構造、アンプ、設置環境など、さまざまな要素が組み合わさって決まるからです。
ただ、聴感上の「速さの質」には、違いが表れることがあります。
TD712zでは、
音が出る↓輪郭が現れる↓位置が明確になる
という、「瞬間の鮮明さ」を強く感じやすい。
一方、KINGでは、
音が出る↓基音と倍音が立ち上がる↓音色が形成される↓空間へ広がる
という、音が生まれていく過程まで含めて、一つの音として感じる方向があります。
言い換えれば、
TD712zは「音の発生点」を鋭く見せる。
KINGは「音が生まれて広がっていく過程」を感じさせる。
もちろん、これは設計思想と実際の聴感から考えた整理であって、すべての条件で必ず同じように聴こえるという意味ではありません。
もっと重要なのは「立ち下がり」
実は私自身、音の評価では立ち上がり以上に「立ち下がり」、つまり音の消え際が重要だと感じています。
例えばピアノの一音。
「コン」と音が立ち上がった瞬間に、音楽が終わるわけではありません。
その後に、
弦の振動が残る
響板が鳴る
倍音が残る
空間へ音が広がる
そして静かに消えていく
この時間の中にも、音楽があります。
いや、むしろ私は、音が消えていくところに、その音の素性が現れることさえあると思っています。
楽器の材質。
演奏者のタッチ。
ホールの大きさ。
録音された空間。
そして、その一音が次の音へつながっていくための余韻。
これらは、音が鳴った瞬間だけを見ていては分かりません。
だから、
「音を素早く止めること」と「音が自然に消えていくこと」は、同じではない。
ここは、とても重要なところです。
「響きが少ない=速い」ではない
ここはオーディオで、かなり誤解されやすいところです。
余計な響きや残響が少なくなると、音の輪郭が立ち、聴感上「速い」「切れがいい」「解像度が高い」と感じることがあります。
しかし、それが常に「元の音に対して正確である」とは限りません。
生の楽器には、本来あるべき響きがあります。
ピアノにも、ギターにも、バイオリンにも、そして人の声にもあります。
だから、
「響きを削ぎ落とした音が正確なのか」
「元の響きまで描写した音が正確なのか」
という問題は、単純には決められません。
本当に見極めたいのは、
その響きが録音の中に刻まれていたものなのか。
それとも、
再生装置が後から付け加えてしまったものなのか。
ここです。
倍音をどう聴くかで、評価は変わる
そして、ここからが私にとって非常に興味深いところです。
同じ音源を聴いていて、ある倍音は「美しい」と感じる。
ところが、別の倍音になると「これはノイズだ」と感じる。
これは、倍音そのものの有無だけの問題ではありません。
聴き手が、どこまでを「音楽」として受け取っているのか。
そこに関係しているのではないでしょうか。
ボーカルには基本周波数だけではなく、多くの倍音があります。
それが声の厚みや温度、声質を作っています。
ギターも、弦の音だけではありません。
弦の振動、ボディの共鳴、指の触れ方、空気の振動、そして部屋の残響。
それらが重なって、初めて「そのギターの音」になります。
もちろん、再生装置が作り出した不要な共振や歪みは、取り除かなければなりません。
しかし、
「倍音がある」ことと「ノイズがある」ことは、同じではありません。
ここを混同すると、少し怖いことが起こります。
不要な音を取り除いているつもりが、
音楽そのものが持っていた情報まで取り除いてしまう。
そんなことも起こり得るからです。
TD712zが「ライブ」に聴こえる理由
TD712zを聴いて「ライブ感がある」と感じる理由のひとつは、直接音の立ち上がりや音像定位の明確さにあるのだと思います。
音が発生した場所が分かる。
アタックが明確。
音像がきちんと定位する。
そのため、演奏者が目の前に立っているような感覚につながります。
これは、時間軸の再現を追求したTD712zならではの魅力でしょう。
KINGが「ライブ」に聴こえるなら、その理由は違う
では、KINGで感じる「ライブ感」はどうでしょう。
こちらは、少し違ったところから「ライブ」を感じることがあります。
弦を弾いた瞬間だけではなく、
弦の質感。
ボディの響き。
複雑な倍音。
空気の揺らぎ。
そして空間に残る余韻。
そうしたものが一つにつながって聴こえてくる。
すると、「音が目の前にある」というより、
「その音が生まれた空間そのものを感じる」
という感覚に近づいていきます。
同じ「ライブ感」という言葉を使っていても、聴いているものが違うのです。
だから、「速い音」だけでは音楽を語れない
ここで、最初の「速い音」という言葉に戻ります。
いったい、速い音とは何でしょうか?
音が早く立ち上がることなのか。
音が早く止まることなのか。
響きが少ないことなのか。
それとも、
演奏者が音を出した瞬間から、その音に含まれている倍音や響きが正しく立ち上がり、必要な余韻を残しながら消えていくことなのか。
私は、最後の部分を無視して「速い」と言うことには、少し違和感があります。
音楽は、音が鳴った瞬間だけに存在しているわけではありません。
鳴っている時間そのものが、音楽なのです。
TD712zとKING――違うのは「速さ」ではなく、音の捉え方
TD712zを「音の瞬間と時間軸を明確にするスピーカー」とするなら、KINGは「音が生まれ、広がり、消えていくまでの質感や情景を感じさせるスピーカー」と捉えることができます。
TD712zでは、
アタック、定位、輪郭、時間軸。
KINGでは、
倍音、質感、余韻、空間、そしてキャビネットとの調和。
もちろん、これは二つのスピーカーを単純に二分する話ではありません。
TD712zにも響きがあります。
KINGにも鋭いアタックがあります。
違うのは、そこから先を私たちがどう受け取るかということなのだと思います。
「速い音」と「生きた音」
立ち上がりが速い。
音がピタッと止まる。
輪郭が鋭い。
定位が明確。
それだけなら、確かに「速い音」と感じるでしょう。
しかし、それだけで「生きた音」と呼んでいいのでしょうか?
生きている音には、必ず動きがあります。
鳴って
響いて
広がって
そして消えていく
その一連の中には、演奏者の息遣いも、楽器の個性も、演奏された空間の気配も含まれています。
だから私は、
「速い音」と「生きた音」は、同じではない。
そう思うのです。
そして、もっと大切なのは、
響きを消すことではありません。
音楽に必要な響きと、再生装置が作った余計な響きを、聴き分けること。
ここに、オーディオの難しさがあります。
もし、倍音を聴いて「ノイズだ」と感じたなら、その前に一度だけ考えてみたい。
それは本当にノイズなのか?
それとも、
その音を生んだ楽器や演奏者が、もともと持っていた「生命の響き」なのか。
私は、そこを聴き分けたい。
音の向こう側にある演奏者の呼吸や、空間の息遣いまで聴いていきたい。
そう考えると、スピーカー選びも、音作りも、単なる「速い・遅い」「解像度が高い・低い」という話では終わらなくなります。
音楽を聴くということは、
音が鳴った瞬間だけを見ることではない。
その音が生まれ
響き
空間を満たし
そして消えていく
そのすべてを聴くことなのかもしれません。
。
だから私は今日も、音の消え際に耳を澄ませています。
音が消えたあとに、何が残るのか。
そこにこそ、そのスピーカーが音楽をどう捉えているのかが、静かに現れてくるのだと思います。



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