そば鳴りと、遠くまで届く音
1. 昔の記憶――手元の鳴りとホールの遠達性
昔、私は河野賢さんのクラシックギターを使っていたことがあります。
非常に弾きやすく、弾いている自分自身の手元では、音が実に豊かに聞こえる。弾いていて、とても気持ちのよいギターでした。
ところが、そのギターをホールへ持って行くと、印象が一変しました。
いわゆる「そば鳴り」です。
手元では実によく鳴っているのに、ホールでは遠達性がなく、客席の遠くまで音が届かない。
もちろん、これは私が所有していた特定の一本についての体験です。
現在の河野・桜井ギターについては、その後も構造や響板の研究が進み、音量や遠達性なども含めて改良されているようです。
ただ、私はそのギターを通して、演奏者の耳元で聞こえる音の密度と、空間を進んで客席まで届く音は、必ずしも同じではないということを、身体で感じたのでした。
2. 日比谷公会堂で聴いたセゴビアとラミレス三世
そんな記憶をたどっていると、ふと巨匠アンドレス・セゴビアの演奏が脳裏に浮かびます。
かつて私は、日比谷公会堂でセゴビアの生演奏を聴く機会に恵まれました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%B4%E3%83%93%E3%82%A2 より
日比谷公会堂は、クラシックギターを響かせる場所として、決して音響的に恵まれたホールとは言えません。
それでも、セゴビアが抱えていたラミレス三世から放たれる音は、まったく違っていました。
今でも強く印象に残っているのが、「単音」です。
いわゆるセゴビアトーンです。
和音の音圧で大きく聞かせるのではない。
たった一つの音が、芯を失うことなく、2階席の一番後ろまで届いてくる。
そして、その音が音量は小さくても不思議なほど唸って聞こえたのです。
ブゥーンという感じです。
そんな体験は、それまでにも、その後にもありませんでした。
さらに驚いたのは、和音を弾いたときです。
和音の中にある一音一音が欠けることなく、すべての音が揃って発せられているように聞こえる。
それぞれの音が埋もれることなく存在しながら、一つの響きとしてまとまっている。
そこには、ラミレス三世という楽器の持つ豊かな響きと、セゴビアの卓越したタッチが重なっていたのだと思います。
そして何より、その音には遠達性がありました。
目の前で大きく鳴っているという感じではない。
音そのものがしっかりと存在したまま、空間を進み、2階席の一番後ろまで届いてくる。
あのとき私が聴いたセゴビアの音は、今でも私の中に残っています。
3. スピーカーの世代進化に見る「アタックと遠達性」
このギターの記憶は、現代のオーディオ再生、とりわけスピーカーの聴こえ方を考えるうえで、今でも私に問いを投げかけてきます。
例えば、ECLIPSEの初代TD712zのようなタイムドメイン思想のスピーカーを聴くと、
「音が速い」
「細部まで克明に見える」
「定位が明瞭で直接的」
といった印象があります。
確かに、目の前で音の輪郭がくっきりと立ち現れ、手元で精緻なタッチの音を感じ取れることには大きな魅力があります。
しかし、私が初代TD712zを聴いて感じたのは、ハイスピードな過渡応答の素晴らしさだけではありませんでした。
私の耳には、空間へ音を押し出していく力や、音の密度の太さについては、もう一歩欲しいところがありました。
その後、TD712zMK2が登場し、さらにTD510zMK2などMK2世代のモデルが登場していった。
そこには、単に手元での速さや明瞭さだけではなく、スピーカーから生まれた音が空間の中でどう広がっていくのかということも、重要な要素なのだと私は感じています。
初代からMK2への変化を聴いていると、私には「空気をしっかりと揺らし、空間の中を音が渡っていく力」もまた、スピーカーにとって大切なものだと思えてきます。
4. 本当のハイスピードと「ライブ感」の意味
しかし、そこからさらに一歩踏み込んで音を深く聴いていくと、また新たなことに気づきます。
過渡応答の速さに優れたTD712zMK2であっても、Great16KINGのようなフルレンジスピーカーと聴き比べてみると、私の耳には、むしろKINGの方が「速く」感じられることがあるのです。
一見すると、小口径ユニットを使ったタイムドメインのスピーカーの方が、ハイスピードに思えるかもしれません。
ところが、私がKINGから感じているのは、単なるアタックの鋭さではありません。
一音が発せられた瞬間、その音の密度が保たれたまま、空間へ広がっていく。
その音が、近くで鋭く立ち上がって終わるのではなく、音の芯を持ったまま空間を進んでいく。
そこに、私が感じる「本当の速さ」があります。
オーディオでは、「どちらがライブに近いか」という議論がよくあります。
けれども、ライブという言葉の中には、いろいろなものが含まれているのではないでしょうか。
音の立ち上がりを身近に感じる「手元のリアリティ」もある。
そして、楽器から生まれた響きが空間全体へ広がっていく「空間の豊かさ」もある。
どちらも、ライブで感じる音楽の一部です。
一音が生まれる。
その一音が空間へ解き放たれ、広がっていく。
そして、やがて静寂の中へ消えていく。
私は、その一連の動きまで含めて音楽なのだと思っています。
私がGreat16KINGを聴いていて感じる「音が空間へ広がっていく感覚」には、あの日、セゴビアがホールへ放った音を思い出させるものがあります。
音は、近くで鳴っているだけでは終わらない。
その音がどこまで空間を進み、どこまで聴く人の心に届くのか。
昔使っていた一本の河野ギター。
日比谷公会堂で聴いたセゴビアのラミレス三世。
そして、スピーカーを聴く中で感じてきた音の違い。
それらの記憶と体験は、今でも私に「良い音とは何なのか」を考えさせてくれるのです。




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