オーディオは何のためにあるのか。音楽の生命感を求めて
M所長の呟きに続いて、音について、そしてオーディオについて、少し考えていることを呟いてみたいと思います。
オーディオの世界では、解像度、情報量、S/N比、周波数特性、素材や構造など、さまざまな技術的な言葉が使われています。
もちろん、電気的な特性を測定し、素材や構造を検証することには意味があります。技術を理解するうえで、そうした知識は欠かせないものです。
ただ、気になることがあります。
それは、測定値や素材の名称を示すことで、音質まで科学的に裏付けられたような印象を与えてしまうことです。
電気的な特性が優れていることと、音楽を聴いたときに心を動かされることは、必ずしも同じではありません。
数値や理論によって説明できることは確かにあります。しかし、それだけで音楽の豊かさや演奏の生命感まで説明できるのでしょうか。
もう一つ、よく耳にする言葉に「原音再生」があります。
そもそも、ここでいう原音とは何を指しているのでしょう。
演奏会場で鳴っている音なのか、それともマイクを通して収録された音なのか。
録音にはマイクの種類や設置位置、録音する空間、ミキシングやマスタリングなど、さまざまな工程が関わっています。私たちが聴いている音楽は、そうした過程を経て作られたものです。
録音された信号を忠実に伝え、再生するという技術的な目標は理解できます。しかし、それを「原音」という言葉で表現するとき、何を基準にしているのかが曖昧になってしまいます。
言葉の響きだけで、あたかも絶対的な正しさがあるように受け取られてしまうことにも、違和感があります。
では、音楽を聴いて心を動かされるとは、どういうことなのでしょう。
毎月一度、私は小さな演奏会に足を運んでいます。
本当に素晴らしい演奏に出会うと、難しい理屈など考える間もなく、自然に笑顔になり、拍手を送り、心を揺さぶられます。
聴衆の皆さんも、同じように心を動かされています。
演奏が終わった瞬間、会場全体が感動に包まれ、自然と拍手が湧き上がる。
そこには、言葉や理屈を超えた、音楽の大きなエネルギーがあります。
そこでは、周波数特性や歪率、解像度、音場の広さなどを評価しているわけではありません。
違う見方をすれば、作曲者は自らの人生や心の奥底にある想いを、命を削るようにして一つの音楽へと昇華させ、それを楽譜に託します。
そして演奏者は、その楽譜に込められた想いを受け取り、自らの人生と感性、そして命を吹き込むように演奏することで、作曲者が生み出した音楽を再びこの世に蘇らせます。
そこには、時代を超えて作曲者と演奏者の命が響き合い、楽譜に刻まれた命の結晶が、音となって目の前に立ち現れる瞬間があります。
作曲者が生きた時代と、演奏者が生きる時代が違っていても、音楽を通して両者の想いは結ばれます。そして、その音楽を聴く人の心にも届いていく。
そこに、時空を超えた体験が生まれるのではないでしょうか。
だからこそ、本当に素晴らしい演奏は、聴く人の心の奥深くにまで届き、言葉では表せない感動を呼び起こすのだと思います。
オーディオにも、本来そうした役割があってほしいと思います。
演奏者の息遣い、楽器が持つ響き、音の立ち上がりや消え際。そして、音楽全体に流れる躍動感。
単に細かな音が聴こえることや、音場が広がることだけではなく、音楽に備わっている生命感が自然に伝わってくること。それこそが、音楽を聴く喜びにつながるのだと考えています。
録音された音楽の向こう側にある、作曲者の想い、演奏者の表現、そしてその時代を超えて受け継がれてきた音楽の命。それらを感じられる再生であってほしいのです。
だからといって、技術や理論、測定を否定するつもりはありません。それらはオーディオを支える大切な要素です。
ただし、技術的な数値や理論を追い求めることが、いつの間にか目的になってしまってはいないでしょうか。
機器の性能を評価することと、音楽を楽しむことは、本来別のところにあるはずです。
Life Soundが大切にしているのは、機器の存在を意識させる音ではなく、音楽そのものに心を向けられる再生です。
良い音を追い求めた先に、音楽を聴く喜びがある。
音を聴くために音楽をかけるのではなく、音楽を楽しむためにオーディオがある。
その原点を、これからも大切にしていきたいと思います。



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