イカレタ趣味 ── 道具たちの叫びと、設計者の思い
趣味の世界というのは、実に多様です。
個人の自由である以上、そこにはそれぞれの楽しみ方があります。時には世間の常識を超えた世界もあれば、正統派と呼ばれる世界もあります。
しかし、時折、私にはどうにも理解し難い光景に出会うことがあります。
高額なスピーカーをずらりと並べ、さらにそれに輪をかけて高額なアンプ類を幾台も鎮座させる。
その光景には、ただただ驚くばかりです。
けれども、私たちライフサウンドは、そうした光景を目の当たりにすると、どこか切なく、悲しい気持ちになってしまうことがあります。
なぜなら、そこに並んでいる機器たちが、どうにも不憫に思えてならないからです。
本来なら広大な野山を駆け巡るはずの野生動物が、狭い檻の中に閉じ込められている。
私には、そんな光景と重なって見えることがあります。
錦鯉も同じです。
悠々と泳ぐ錦鯉の姿は、実に優雅で美しいものです。
ところが、狭い水槽に何匹も詰め込まれ、餌を求めて一斉に口を開け、互いに押し合う姿には、あの優雅さはありません。
同じ錦鯉であっても、その姿によって、見る者に与える印象は大きく変わります。
では、そこに並んでいるオーディオ機器たちは、どうでしょうか。
それぞれの機器には、設計者が思い描いた理想があり、製作に携わった技術者や職人たちの努力があります。
一台の製品が世に出るまでには、表からは見えない多くの試行錯誤があったことでしょう。
どんな音を届けたいのか。
どんな音楽を聴き手に感じてもらいたいのか。
そうした思いを込めて、一つ一つの製品が生み出されてきたのではないでしょうか。
その機器たちが、ただ並べられ、所有する喜びを満たすためだけの存在になっているとしたら……。
私は、少し寂しい気持ちになります。
もちろん、趣味は個人の自由です。何を所有し、どのように楽しむかは、それぞれの方が決めることです。
私が何かを申し上げたいわけではありません。
ただ、機器を販売する立場にいる私には、どうしても忘れられない思いがあるのです。
お客様は、もちろん大切な存在です。
そして、私にとっては、販売する機器もまた大切な存在なのです。
お客様に選んでいただき、送り出した機器。
私には、まるで嫁に出した娘のように思えることがあります。
新しい家庭で、元気にしているだろうか。
持っている力を発揮し、周囲の人たちに喜んでもらえているだろうか。
そんなことを、ふと思うのです。
機器を販売するということは、代金と引き換えに品物をお渡しするだけのことなのかもしれません。
しかし、私の気持ちは、それだけでは終わりません。
せっかく私のもとから送り出したのですから、その機器が持つ魅力を存分に発揮し、音楽を通して誰かの心を豊かにしてくれたら、これほど嬉しいことはありません。
反対に、その力を発揮する機会もないまま、ただそこに置かれているとしたら、やはり寂しいのです。
それは、機器を販売する者の勝手な思いなのかもしれません。
けれども、機器を扱う仕事を続けてきたからこそ、そうした気持ちが自然と湧いてくるのです。
それは、機器の向こう側には、それを生み出した人たちがいるからです。
設計者や技術者、職人たち。
彼らが積み重ねてきた技術と情熱が、一台の機器という形になっています。
その思いに敬意を払うことも、機器を扱う者として忘れたくありません。
機器を所有する喜びは、確かにあります。
しかし、その機器が本来の役割を果たし、音楽を奏で、人の心を動かす。
そこには、所有することとはまた違った喜びがあるように思います。
私が願っているのは、ただ一つ。
送り出した機器たちが、それぞれの場所で大切にされ、その持てる力を発揮してくれること。
そして、その音楽を聴く人が、心から喜んでくれることです。
嫁に出した娘を案じる親のように、送り出した機器のことを思う。
少しおかしな話かもしれませんが、そんな思いもまた、私にとって、機器を販売するという仕事の一部なのです。



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