top of page

原音再生のその先に―「正確さ」と「音楽のリアリティ」ジレンマ

lifesound
28 分前
読了時間: 5分

今回はライフサウンド川越研究所のM所長の呟きです。が、少々強面感じですが、真実ですので受けとめて下さい。よろしくお願いします。




かつて、オーディオの世界にはひとつの大きな目標があった。「原音再生」である。


「生演奏の空気感をそのままリビングに蘇らせる」―この大義名言のもと、オーディオファイルやメーカーは、いかに歪みを削ぎ落とし、周波数特性をフラットにするかという果てしない技術革新を重ねてきた。専門誌では「何をもってして原音とするのか(マスターテープの音か、生音の空気感か)」といった議論が喧々諤々(けんけんがくがく)と交わされ、それ自体がオーディオの大きな醍醐味でもあった。


そして時は流れ、デジタルオーディオが完全に主流となった2010年前後、ひとつのマイルストーンが訪れる。測定限界を超えるハイレゾ音源の普及、高精度なマスタークロック、そして後述するデジタル信号処理の進化によって、「物理的な意味での原音再生」は技術的にほぼ達成されてしまったのだ。


しかし、ここにオーディオの歴史における最大の矛盾が生まれる。

完璧なまでに正確に再生されているはずのシステムから鳴る音が、「なぜか、音楽として面白くない」「何か味気なく、不自然に聞こえる」という違和感を、多くの愛好家が抱き始めたのである。



マイクロフォンが暴いた「不自然な真実」


なぜ、正確無比な再生が「不自然」に感じられるのか。その答えは、録音と人間の聴覚のメカニズムのギャップにある。


コンサートホールやライブハウスで音楽を聴くとき、私たちの耳には直接音だけでなく、その多くは壁や天井で複雑に反射した豊かな間接音がブレンドされて届いている。しかし、現代のマルチマイクによるレコーディング現場では、各楽器の至近距離にマイクが立てられ、普段のリスニングポジションでは絶対に耳にすることのない「楽器の微細な摩擦音」「キイの稼働音」「弦が擦れる生々しすぎるディテール」までが容赦なく収音される。


それを最新の超高解像度システムでそのまま再生するとどうなるか。

「人間の耳が自然と感じる音のバランス」から乖離した情報がリスナーの耳に飛び込み、脳はそれを「極めて正確だが、どこか不自然な音」として認識してしまう。データ上の正しさと、人間の感性が求めるリアリティの間には、埋めがたい溝があったのだ。



DA変換の核心:なぜ「技術的に劣る」方式がハイエンドで愛されるのか


この「正確さと心地よさ」のジレンマは、デジタル信号をアナログ信号へと戻すDAコンバーター(DAC)の設計思想に最も色濃く現れている。


現代のデジタル技術において、数学的な正確性やノイズ特性、ダイナミックレンジの追求という点では、デルタシグマ(ΔΣ)方式が絶対的な優位性を誇っている。1bitあるいはマルチビットの高速オーバーサンプリングとノイズシェーピング技術により、測定上の歪みは極限まで抑え込まれており、現代のほとんどのデジタル機器に採用されている。


これに対して、抵抗をハシゴ状に並べて電圧を直接作り出すR2Rラダー方式は、抵抗素子の僅かな精度誤差がそのまま直線性(リニアリティ)の狂いや微小信号の歪みに直結するため、純粋な測定スペックの追求という観点からは「過去の遺産」と見なされがちだった。


しかし、ここで面白い逆転現象が起きる。

市場を見渡すと、ハイエンドと呼ばれる高級オーディオ機器の多くが、あえてR2Rラダー方式を採用したり、あるいは最新のデルタシグマ回路の周辺に独自のディスクリート・アナログ回路を組み込んだりして、意図的に「アナログライクな響き」を作り込んでいるのである。



技術的背景:なぜディスクリートやR2Rに惹かれるのか


時間軸上のトランジェントとエネルギー感:

デルタシグマ方式は非常に優れた低ノイズ・高分解能を誇る一方で、複雑なデジタルフィルタ演算や過剰なオーバーサンプリング、フィードバック回路を経由することで、音の立ち上がり・立ち下がり(トランジェント)における微小な時間的ジッターや、音の「実体感・密度感」が均質化されやすい傾向がある。


高調波歪みの質(心地よさの正体):

R2Rラダーやディスクリート構成の回路は、最新のICチップ単体に比べれば微視的な歪み(高調波)の数値は劣る場合がある。しかし、その歪み成分が偶数次を主体とする自然なものであったり、電源部や出力トランスの磁気特性と組み合わさることで、人間の耳にとって「心地よい潤い」や「音色の厚み」として知覚される。


メーカーは、測定器上の「完全な正確さ」をあえてスポイルし、音楽的な血肉を通わせるためのチューニングを施している。つまり、高級オーディオが目指しているのは「不完全な原音再生」なのだ。



不完全さがもたらす「音楽の愉悦」


機械にとっての正しさと、人間にとっての心地よさは必ずしも一致しない。

あえてわずかな不完全さを残すこと、あるいは人間の聴覚心理に寄り添った化粧を施すことで、聴き手は初めて「そこに演奏者がいる」という生々しい実体感や、音楽が持つドラマチックなうねりを感じ取ることができる。


その結果として、私たちはこう呟くことになる。

「ああ、やっぱり音楽を聴くのは面白い」と。


スペックの数値や「正しさ」の呪縛から解放されたとき、オーディオはただの測定器から、音楽を奏でる楽器へと生まれ変わる。


あなたは今、心から音楽を楽しめていますか?


 
 
 

コメント


  • facebook
  • Twitter Round
  • googleplus
  • flickr
今すぐ寄付する
みなさんの力で変化を起こしましょう

ご協力ありがとうございました。

bottom of page