タルレガの音!??
そして最近、もう一つ、忘れられない音との出会いがありました。
それは、フランシスコ・タルレガの音です。
私は以前から、一度でいいからタルレガの演奏を聴いてみたいと思っていました。それはクラシックギターファンの多くもそうでしょう。
タルレガ本人の演奏や、その姿を収めた確かな映像が、現在まで残されているわけではありません。
そのようなことは、以前から知っていました。

ところがある日、YouTubeで、タルレガの演奏として紹介されている古い蝋管録音を聴く機会がありました。
1899年、あるいは1908年の録音とされていますが、その年代についても確定しているわけではありません。
もちろん、現代のハイファイ録音とはまったく違います。
ノイズもあります。音域も限られています。
けれど、聴いているうちに、私は身体の動きが止まりました。
録音の良し悪しを聴いていたのではありません。ただ、その音だけに集中していたのです。
不思議でした。
音の情報が決して多いわけではないのに、その奥にある「音の骨格」のようなものが伝わってくる。
そして「Capricho Árabe」を聴いたとき、その感覚はさらに強くなりました。
もし、この演奏がタルレガ本人のものではなかったとしても。もし演奏者がタルレガの弟子で、実際にタルレガの演奏をすぐそばで聴いていた人なのだとしたら――。
そこには、タルレガから受け継いだものが、何らかの形で残っているのではないでしょうか。
もちろん、それを私が証明することはできません。
しかし、音楽は楽譜だけで受け継がれるものではないと思っています。
音の出し方。弦への触れ方。音と音との間。
そして、音楽に向き合う姿勢。
そうしたものが、人から人へ伝わっていくこともあるのでしょう。
タルレガ自身も、晩年まで、どのような音を出すのかを探し続けていたといわれています。
爪を使うのか、指頭で弾くのか。
その奏法についても試行錯誤を重ね、やがて指頭奏法へと向かっていった。(弟子のミゲル・リョべートの演奏を聴くと指頭奏法のようです。)
それは単なる弾き方の違いではなく、自分が求める音を、どうすれば生み出せるのかという探究だったのではないでしょうか。
そう考えると、今回聴いた古い音源から感じた「音の骨格」というものが、私にはますます興味深く思えてきます。
さらに、映像を見ていて、もう一つ心を惹かれたものがありました。
そこに映っていたギターです。
トーレスが何台のギターを製作したのか、私は知りません。また、そのギターがタルレガ本人が愛用したものなのか、それも分かりません。
タルレガが亡くなった後、このギターを誰が弾いたのか。どんな人の手を渡ってきたのか。
それも、私には分かりません。
ただ、ブリッジの両側に施された円形の装飾が、とても印象に残りました。
非常に特徴的なギターです。
そして、その姿を見ていると、タルレガを愛し、彼の音楽を惜しみ、受け継いでいこうとした人たちの思いが、そこに残されているように感じました。
音だけではありません。
楽器にも、人の思いが残る。
そう思うと、あの古い録音が、単なる過去の記録には思えなくなってきます。
音楽と楽器と人の思いが、長い年月を越えて、今の私のところまで届いてきた。
長年、密かに思っていた願いが、思いがけない形でかなったのです。
一度でいいから、タルレガの音を聴いてみたい。
その願いが、こんな形で私の前に現れと思い込んでいます。(笑)
ハイファイの世界で語られる「良い音」とは、少し違う体験でした。
けれど、私にとっては確かに、魂を揺さぶられる体験でした。
深く鳴り、空間を進み、遠くまで届く。
そして、その先にいる私の心まで届いてくる。
私は、そんな音を聴きたいのです。
魂を震わせる音に基づく音楽を聴きたい。
だからこそ、オーディオにも魂を震わせる音を求めてしまいます。
音を整えるということ
私がLSチューニングの本格的に開発を始めたのは、日本機能性イオン協会の理事になってからでした。
しかし、それだけで終わったわけではありません。
その後も、さまざまな物質との出会いが続きました。
その中から一つひとつを選別し、試し、また確かめる。
そうした積み重ねの中で、LSチューニングは少しずつ形になっていきました。
そのおかげで、基本性能の素晴らしい機器に施したときには、それに見合った結果が得られるようになりました。
私は、これを料理に例えることがあります。
何か物足りない味がする素人の料理でも、プロの料理人が手を加えると、なぜか「これでいい」と思える味になることがあります。
材料そのものを別のものに変えたわけではない。
料理として必要なものを整えることで、本来持っていた味が、きちんと感じられるようになる。
最近、私は江戸時代から続いているお弁当を食べる機会がありました。「弁松さん」です。
そこには、江戸時代の味覚の一端を感じさせるものがありました。
そして、そのお弁当が生まれた経緯を知っていくと、そこにもまた、長い年月の中で人が味を求め、試し、選び、整えてきた歴史がありました。
その話を知ったとき、私はLSチューニングとの間に、どこか共通するものを感じたのです。
音も、料理も、ただ何かを加えれば良くなるというものではない。
そこにあるものを見つめ、必要なものを選び、余分なものを取り除き、本来持っているものを引き出していく。
そうして初めて、「何か足りなかったもの」が満たされることがある。
私は、音についても、そんなことがあるのではないかと思っています。
そして、それを突き詰めていくと、最後に残るのは、やはり「人が何を感じるのか」ということなのですね。




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